1. HOME
  2. コラム
  3. スピリチュアル
  4. 祈ると呪うは想いの力

祈ると呪うは想いの力

願い事、叶えたい事、自分や誰かの幸せを祈ることは、想いの力です。

恨むこと、妬むこと、誰かに負を与えることを願う気持ちもまた、祈るという想いの力です。

どちらも念じることから発生する、同じ祈りの力と言えます。

ただ、世の中の定義として、人を幸せにするものを祈りといい、人を不幸にするものを呪いと言う。

ですが、どちらも等しく念じる力。

それは、良いことを願っているつもりでも、想い方を間違うと、祈りは呪いとなり、逆に呪いが叶いになることもある。

昔祈祷で使っていた祈念は、呪の力を持って願をかけること、様々な念の力を使って願いを叶える呪いです。

自然には生じない流れを作ること。

それは、自然に抗うことでもあり、天命という天律に逆らう呪法であり、禁忌でもありました。

そういう呪をかけることには、必ず自然に逆らった分の代償が生じます。

それは、命であることもあれば、何かを失くすこと、別の何かに障害が起こることが、自然の法則により起こるのです。

その障害を少なくする為、事を交換する為、また何らかの大きな力を鎮める為、供物を捧げることで、それに宿るエネルギーを代償とすることもあります。

変える物事が大きい程、それに伴い供物とするもののエネルギーも比例しなければなりません。

自然に成らないものを故意的に変えようとすること、強引に叶えようとすることには、それ相当の歪みが起こるということ。

 

それを現代の事象に置き換えて説くとすれば、恋愛のエネルギーがそれに近いと言えます。

人を好きになるエネルギーは、人間の本能的なものでもあり、理性を越える境地にある想いも少なくはないです。

ダメだと分かっていても好きな気持ち

上手くいかないけどやめられないお付き合い

忘れられない想い、相手を求める感情…

こういう本能的な想い、色欲による念は、人の根源的な欲求によるものが多く、ここから生まれるエネルギーは強く根深いものが多いです。

占いやスピリチュアルという業界では、上手くいかない恋愛により生じた満たされない感情が大きく渦巻く側面がある。

その集合意識は、とてつもなく巨大な怨念や執念が宿り、ひとつの集合体となっています。

叶わない想いを前にした時、辛く苦しい想いをすると、それがどうしても手放せない感情であれば、何とかしてその想いを叶えようと願います。

占いで上手くいかないと言われた恋路、上手くいかない現実、それらが受け入れられない時に、自分の願う結果を用意してくれるサービスを探そうと考えます。

そういった自然にはどうしようもできないことを、目に見えない力で何とかしようというのが、神頼みやスピリチュアルです。

ですが、本来の神というものは自然そのものであり、スピリチュアルはその原理を学ぶものでもあります。

自然の中で生きる

その恩恵に感謝できる

今自分がここにいること、自分を受け入れること、自分を肯定できること

今在る現実に感謝できる

そういう自然な感情が祈ることであり、スピリチュアルの本質です。

 

仏壇には、自分が生まれてきたことに感謝

神棚には、今日があることに感謝

感謝を捧げることから豊かさが生じ、自分自身やその住まいに豊かなエネルギーが満ちます。

温かいエネルギーが吉兆を呼ぶのです。

祈りは、豊かな想いの力

満たされている感情から生まれた想いの力が祈りです。

 

呪いは、満たされない感情から生まれた想いの力

満たされない想いは、足りない、欲しいという渇いたエネルギーです。

不足には補おうという力が働き、奪いたくなる気持ちや、渇きによる淋しさから、人の幸せを妬んでしまう想いが生じます。

渇いたエネルギーの中にいると、考え方にも潤いがなくなり、余裕がなくなってしまうのです。

そういう状態で祈ることは、何とか力を貰いたいというすがる想いから、執着心や依存心が強くなり、その願いは重い感情となってしまいます。

重いエネルギーは下に下がり、足が動かなくなる。

固定観念が強くなり、頑固になる。

願いごとをした割には、一番大切な行動に移せないという悪循環に陥りやすいのです。

また、想いも根深くなり、それは叶わない時に自分にかけた呪いになってしまいます。

知らず知らずのうちに、自分自身を代償に出してしまっています。

それによって得るものは、根深く重い、実らない恋のエネルギーを自分自身に集めること。

 

 

自分の道ができるまでは足場は軽く、感情も軽い方が自分の道を探しやすいと言える。

自分の道が見つかった時、強い想いや信念を持つと、それは自分の運命という道を切り開く力となるでしょう。

 

近年は呪法を使う者も少なくなりましたが、

祈ると呪う

事の本質は全く違いますが、願い事という場面では、その想いの力が紙一重な場面も多く見かけます。

そういった状況から、自分に呪をかけてしまっている人も少なくない為、祈りについて書いてみました。

 

神頼みをして願い事は叶いましたか?

欲しいものは手に入りましたか?

 

一度、想い方を見直し、祈り方を考えてみて下さい。

皆様に豊かな風が舞いますように

記事一覧

神谷 奈月

修験道祈祷師の家系に生まれ、長年霊視による悩み相談・祈祷・占い・氣功を生業として参りました。自身の経験も含め、皆様に有益な情報がお届けできれば幸いです。

関連記事