太霊道
ブログでは、私の信仰のルーツや経験、思想について書いてみようと思う。
私が幼少期の頃、私の家は餅屋を商売としていましたが、祖父は祈祷師でもあり、その当時はまだまだそれが全盛期の頃でした。
祖父がそういう道に入ったのは、元々そういう氣質があったことから、当時流行り病となっていた結核患者を多く治癒していた祈祷師の先生に引き取られたそうです。
行く末、家の講社の初代先達となるその先生には、私は直接お会いしたことがないのですが、写真を見たことがあります。
とても霊性が高い霊能者でした。
会ったこともないのに、私はその先生の声が懐かしい。
祈祷業を始めた頃、何度も感じた存在は祖父だけではなく、その先生の存在も私には大きかった。
私の家は祀りものが多い為、鎮めるのもそれなりに難しい時がある。
この道に入ってからは、流れがスムーズに運ぶような導きはあれども、積んだ苦労も沢山あります。
そんな時、私が育つまで支えてくれていた、そういう指導霊的な存在は大きかったのです。
行場にもそういう行者たちの霊は沢山いました。
今では私の修行の形も随分と変わりましたが、そういう環境の中で育ち、そこで養った霊性が私の原点となっている。
祖父が神霊修行をしていた頃は戦争時代であり、その頃に栄えた講社なので、今とは時代背景も違えば、やっていることも違う。
行者は主に山伏とか拝み屋と言われ、神仏習合のスタイルをとっている者が多くいたので、神仏分離における歪みが当時は少なかったのかもしれません。
現在では、神仏習合で祀られている場所に対して、そこを鎮められる者が段々と少なくなってきたように思います。
私が祈祷に呼ばれる時は、そういう神仏習合で祀られている古い社の鎮めや地鎮祭、障りのでている現場です。
祖父たちの頃から、行場は主に木曽の御嶽山で、祖父は御嶽教の神主と天台宗の律師と両方を取得しており、氣功や大和漢方なるものを用いて、神霊治療のようなことも行われていました。
その背景は、祖父のところの祈祷師は大半の者が肺を患っており、初代先達であるその先生も祖父も、結核によって片肺を患い治癒したことから、そういった治療が中心となっていったのだと思われます。
祖父に関しては、もう助からないという診断の末、ついには身体に蛆がわき、隔離病棟を出されて、祖父の氣質を見込んだ先生のところで病を治したところからがその縁です。
当時の行者は、病気を治すという健康法を修行から編み出し、独自の氣功や呼吸法、祈祷などによって、主に自己免疫を高めることを目的としていました。
私の知る御嶽教の祈祷師は、そういう信仰の力で不治の病を治して覚醒した後、その道に入ったという人が大半です。
祖父のところだと、元肺病の祈祷師が多かったので、呼吸法という部分がより強化されていましたし、循環呼吸ができていれば、片肺に障害があっても健康は維持できるということが、祖父たちの姿を見て確認ができる。
一病息災
病を克服できた者の見える背景は違うのだろうなと、私自身大病になった時に痛感しました。
病を越えることは本当に難しい。
今で言えば、末期癌を克服したヒーラーや氣功師は、やはり見える景色が違い、まず脳が全然違う。
覚醒という言葉が正に相応しい。
祖父も祖母も、病後の方がそれ以前よりも健康で元気だったし、病になる前はきっと別人だったのだろう。
初代先達であるその先生は、軍医の家系だったので、講社の教えの中には、沢山の東洋医学における知識が組み込まれていた。
呼吸法 食 …
自然における姿勢や信仰の在り方が理に叶っている。
結果的にその講社には、当時多くの結核患者が訪れ、食や大和漢方、呼吸や氣功など、目的は当病平癒における祈祷が中心となり、山伏の修行は病にならない為の身体作りというところが主軸になったようです。
祖父とその先生が御嶽教の神主を選んだのは、山岳自然信仰だったからということらしいですが、そもそもその内容は他の御嶽教とは全く異なるものが沢山ありました。
御嶽と言えば国常立尊神ですが、まず御本尊が違い、祈祷文も違う。
家の主祭神は天照太御霊大神です。
本当の御神体は鏡。
そのルーツを確認したところ、元々は御嶽教ではなく、その先生が太霊道関係者だったので、主に信仰は太霊道におけるところが基本となっていた。
太霊道がなくなり、その後自然崇拝という共通点があったことから、御嶽教として神事を行うようになったそうです。
太霊道の創始者である田中守平さんは、恵那山に籠られた時に、太陽の御神徳を頂いたというお話を同講社の古い祈祷師に聞いたので、太霊道から御嶽教になった背景には、そういった流れに想うところがあったのかもしれない。
終戦後、御嶽教の活動になってからは、主に降霊における水祈祷が講社の中心となっていきました。
元々その先生は霊能力が強く、祖父も同じ体質だったことから、除霊や神憑せといって、身体に神霊を降ろすという巫女的な祈祷が主体を占めていき、私が生まれた頃はそういう時です。
ですが私は、祖父よりも上の世代であったその先生とは、現実的に会う事は叶いませんでした。
それから世代は移り変わり、祖父の代へ…
私が幼少期の頃は、家が道場のようになっており、行者さんたちが集まっては、降霊術や護摩焚きなどが行われていました。
それぞれの祈祷師の得意分野もあったようで、護摩という火の行を得意とする者、氣功などの体術を得意とする者、神憑せという降霊術をする祖父など、スタイルは様々です。
結局のところ病を克服してからの祖父は、その先生と同じ水祈祷ばかりをするようになり、降霊術が得意だったとみえます。
講社で降霊術となる神憑せができたのは、先生と祖父だけだったので、家にくる依頼はそういうものが多かった。
先生に関しては、霊視なども長けていたそうですが、やはり病を越えたという身体作りがあることから、長く霊視や降霊をしていられる耐久力があったのかもしれません。
実際、私の知る祖父は風邪などもひかず、身体が丈夫というイメージが強く残っています。
それぞれ、持っている氣質や得意分野の違いはあれど、私のところの御嶽教は、太霊道の教えが基盤となっており、初代先達の医療における知識と呼吸や氣功術、修行の基本は身体作りというところがその真髄である。
太霊
それは 大元にある絶対的な神
自然そのものであり 時間の流れ…
季節の巡りと 結び
揺れる木々の音
吹く風の香り
山の鼓動
揺れる水の煌めき
太陽の光 月の引力
宇宙
すべての物の中には御霊が宿る。
それは、人だけではなく、物にも、出来事にも…
すべてのものには、その渦の中心となるものがあります。
それが神であり 太霊神
すべては、大いなる大元に繋がっている
それは、人体の中にもあります。
人の身体の構想が神であり
身体の中が宇宙そのものです。
その中心にある太霊は…
魂
自分の魂です
だから、誰の中にもその神はあり
自分の魂と繋がることは
その大元である宇宙太霊と繋がること。
自然という 大いなる神
宇宙と全身が一体になること
全真が太霊
祈祷はここに 小宇宙を宿し
全宇宙を感じることができる
本当の祈祷は、祈願や祈念ではなく
ただそこにある自然そのものと繋がること。
山や 海 風 自然と…
一体になること
そこにある太霊とひとつになること
大元に還ること…
私は太霊道の時代に生きていたわけでもなく、直接学んだわけではありませんが、今ある家の信仰のルーツがそこにあるということに意味を感じました。
実際のところ、当時の教えがどういう形であったのかは別として、それを主体とした初代先達の感性から発展した教義に、私が感銘を受けたことに間違いはない。
その教えも、指導霊という形で私が受け取った言霊によるところが大きいのですが、幼い頃にもっと沢山のことを、祖父から聞けば良かったなと思ったりします。
その頃、私自身がこういうことをする流れになるとは考えてもみませんでしたが、その川の流れは本当は最初から、祖父よりももっとずっと前から…流れているのかもしれませんね。