天命
人の命運を視る時、いくつかの要素がありますが、それらの総合的な結果により、現状やその先の道があります。
いくつかの要素とは、天命、運命、天運、氣運などです。
⚫︎天命とは、変えられないもの、主に魂そのものを指します。
霊視などで視る魂の部分、人として持って生まれてきた要素、変えられない性分、才能、障害、環境による宿命、役割、親やご先祖様、守護や徳、才能、カルマ、障害など、身体的なこともそれに当たります。
⚫︎運命とは、選択や努力、自分次第で変わるもの。
占いで鑑ているのは、運命の部分です。その時の選択で変わる運命、努力や縁、導きなどで切り開ける要素です。何もしなければ天命のようになっていきますが、自分次第で変えられる選択肢や生き様のようなものです。
⚫︎天運とは、天律、暦や時間などの定め、神懸かりです。
天運も変えられない要素なので天命に近いですが、自分に課せられる天命に対して、天運は全体の流れ、地球、宇宙、因果律、季節や時間、暦による周期やタイミングなどを指します。これに合ってこないと、切り開いていけないものがあります。
⚫︎氣運とは、人としての意識や生きる力のようなエネルギー。
これは人間としての生きる力、生命エネルギーであり、日々の生活や行いによって培っていける氣の運です。心や身体の状態、それによる精の力であり、活力を指します。氣の運が高いと運命を切り開いていく選択や力が発揮できるでしょう。
氣の運については、過去コラムに書いていますが、改めてそれぞれの要素について書いていきたいと思います。
今回は天命について⇩
【天命】
天命と運命は著書にも書いていますが、天命は先に書いた変えられない要素です。
それから、魂そのもの。
与えられた、宇宙から生まれた私という個
それは、父母の交わりにより、その波長に合った母体の血の道に魂が入り、子宮という聖なる宮に宿ります。
人によって誤差はありますが、十月と十日、大切に育まれた生命が生まれた時、天命を授かるのです。
まず名前。
私は霊視をする時に生まれ時の名前を視ていますが、画数ですか?筆跡ですか?とよく聞かれます。視ているのはそういった占いではなく、持って生まれてきた要素である天命です。
その時、そのタイミングでついた名前に意味があり、神が宿ります。
生まれ神といって、護っているのは、その土地の祖霊や氏の神、ご先祖様が祀っていた、または信仰していた神霊、礎の神、自然の精霊など、名前に宿る神がいます。
主に家のもの、土地のものが多く、私の視ている名前はそういったところから生命を視ています。霊視とか神占いとでも言えばいいのでしょうか。
基本的にあがられたご先祖様を引っ張るような霊視はしませんが、ご先祖様の筋も名前に宿るものから分かります。
名前にも命があり、文字の力があり、名前にも精が宿るのです。
そうやって憑く名前もすべては偶然ではなく、必然だと言えます。
形あるものに命が宿る。
憑く神もある。
天命を授かります。
持って生まれた容姿や体質、性格と言われる性(サガ)、能力もあれば障害もある。守護や徳もあれば、カルマと言われる業もある。
生まれた環境、やめられないことや、逃げられないこともある。
よく魂は生きたい環境を選んでくると言われますが、私の視るところではそうではありません。
すべては因果律です。
魂には、人間のようなエゴや意識はありません。
選んで憑るのではなく、その時の天律による周期やタイミング、何より魂の波長が一致したところに宿ります。
それ自体に意味があり、縁がありますが、その生まれた環境が良いか悪いかはまた別の話です。
子供は親を選べません。
様々な障害があったり、最初から才能があり物事が上手くいき、成りたい自分になっている人ばかりではない。
想像できない苦労や辛さがあるのかもしれません。
生まれた環境に恵まれ、愛され、財があり、才があれば、当然生まれてきたことに感謝ができます。
ですが、そうではない場合、それを選んで生まれてきたということはそう簡単には言えません。
生まれたことに感謝する
天命に恵まれている人、環境に恵まれている人、ある程度自分の氣運を高めることができている人は、自分の命を祝える豊かさがある。
ですが、人は平等ではなく、持って生まれてくる要素は人それぞれ違います。
あんな風になりたかった、あんな環境に生まれたかった、こんな風だったら上手くやれたのに、こんな感じだったら良かったのに…
何で自分が、何で自分だけ…
妬んだり、羨んだり、憎んだり
怒りや憤り
復讐心や反逆心が沸いてくるかもしれません。
だから、いつの時代も争いが絶えません。
人の陰、影の部分です。
それは人の一部であり、それも人の形です。
ですが、それは悪いことばかりではありません。
痛みや苦労が分かる人間が陽に転じた時、それは温かい大きな光に変わります。
その時、社会や他者に対して、大きな役割という使命を授かるでしょう。
陰を越えていない魂は、生まれた環境における徳分だけで、本当の光を知らない。
それは、人の様々な痛み、人の気持ちを感じることがまだできていないからです。
痛みが分かり、痛みを越えている魂は、人や仕事と向き合った時、その向き合い方や解決方法が分かります。
独特の嗅覚が備わり、感が働くようになります。
また、自身の欲求をコントロールできることから、適切な判断や決断ができるのです。
人に振り回されるのではなく、人を見護る余裕があります。
自分や自分の周りの人たちを良い方向に導くことができる力です。
自分や人を幸せにすることができるでしょう。
陰を越えた魂には、そういう本当の豊かさが備わります。
それは生まれ持ったものではなく、
天命を理解した先に
天命を受け入れた先に
天命を越えた先に…
新しく生まれるのです。
だから、生まれ持った環境を恨まなくていい
人を妬まなくていい
ただ、自分の天命である環境を知って、その意味を理解することが、今世生まれてきた意味を知ることになります。
自分に向き合うことになります。
どんなに過酷な天命でも、天命を生きている人は美しい。
ただひとつ、すべての魂において等しく言えることは、自分の魂という、自分だけの花を咲かせた人は、どんな天命でも輝いています。
運氣の波だけで輝いている魂は、本当の意味で魂がまだ開花していません。開花をしていない魂は、また気づきの為に荒波がやってきます。
ですが、影の中から光を見つけ、自己開花をしてその天命を生きている人は、その先の人生においてずっと豊かです。
どんな天命でも等しく言えることは、自分の魂を、自分だけの花を大切に育てて下さい。
それは尊い、美しい花です。
人の花ではなく、自分の花を咲かせて下さい。
そうすれば、貴方の身近な人の魂の花を…咲かせるお手伝いができるようになるかもしれません。
理不尽だと思えることでも、天命に向き合おうとする時は、導きがあったります。天命による役割を果たした後は、光がさしたりします。
その度に、自分の魂という花は開いていくでしょう。
魂という沢山の花が咲き乱れ
地球が今よりももっと…
綺麗になりますように