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説法

説法というと宗教的な話で、少し難しいイメージがあるのかもしれませんが、人の悩みや事の本質を説き、導くこともまた説法だと言えると思います。

占いを職業にしていると、そういう場面が非常に多いです。

説く法は、社会の中での憤りや、悩み分からなくなってしまった道筋を説いていくことだったり、縛られてしまった心や魂を解いていくことでもあると考えています。

だから、伝え方は相手に分かる言葉で、相手の中に落ちる話し方と波長でなければ、説法とは言えないのではないでしょうか。

伝わらない難しい言葉や、専門用語を使わなければいけないとか、相手を威圧したり、洗脳するのは論外です。

そこで先日、そういった原点を考えさせられるような事がありました。

それは、子供に対して説くということです。

 

姪っ子が家にやってくると、神前に座りたがり神仏のことを聞いてくるようになりました。

まだ9歳になったばかりの子供なのですが、遊園地よりも神社仏閣の方が好きで、落ち着くと言っています。

そんな姪っ子に、神前にあるものについて、意味を聞かれるのです。

例えば、七福神

どんな御利益があって、それぞれの神様の役割と、具体的にどんな内容の時に、どの神様にどんな風にお願いをするのかと細かく聞かれました。

正直、私は困りました。

まず、ご利益ということについて説いていかないといけませんし、お願いの仕方も9歳の子の目線で例えを説かないといけません。

子供をみることは多くありますが、事の真意を説明することが難しい精神世界の内容や、神仏のことについて、あまり子供から聞かれたことがなかったのです。

世俗的に優しい内容の神話を伝えることはできますが、姪っ子はそういうところを聞きたいのではないと察しました。

今までも、真剣に私の話を頷きながら聞いており、次に遊びにきた時には、その内容を漏らさず覚えていますので、こちらも適当なことは言えません。

私は20代の頃、小中学生の家庭教師のアルバイトをしていましたが、勉強以上に教えることが難しいと感じました。

どこまでを話してよいのかとか、どこまでを理解でき、また正しく感じとっているのだろうかとか、この子にとって良き知恵となってくれるのかとか…色々なことを考えます。

もっと大人になった時に、話すこともあるのかなと考えていましたが、思っていたよりも早くにこういった機会が訪れ、私自身も説くことの難しさを改めて実感したことから、新しい気づきと学びを頂きました。

次は経文の内容を知りたいそうなので、心して向き合いたいと思ったある日の出来事です。

 

しかし、最近の子は学びが早い。

ふりがなが振ってあれば、経文や祝詞も読めてしまい、奉る(たてまつる)について、普通はこんな風に読まないよねと言われてしまいます。

私が9歳の頃、お経は覚えていましたが、そんな細かいことを疑問に思い、質問したことがなかったように記憶しています。

先が恐いような、楽しみなような…

 

夢と希望膨らむ、春の日の出来事です。

神谷 奈月

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