蛇のお知らせ
あれは、ある晴れた日の朝でした。
ちょうど遠方からお祓いのご依頼を受け、向かう当日の朝の事です。
大きなアオダイショウが、私の車の前で顔を起こして待っていました。
玄関の扉を開けた瞬間、私と目が合うと、頼んだよと言わんばかりに、あっという間に草むらの方へと走り去っていったのです。
今日の祈祷先からのお知らせだなと視ました。
その日のお祓いは、祀りものを鎮める為の祈祷でしたが、ご依頼を頂いた時のお写真を霊視すると、古い蛇の御霊が磐座に宿っていたのです。
井戸や、水場だけでなく、小さな磐座にも、そういったものが宿ることがあります。
一度は神として祀られ、崇められ、大切にされてきたのに…
それはいつしか人の都合で、忘れ去られ、忌み嫌われ、気づけば朽ち神となってしまう。
それを、障りとか、祟りと表現するのも可笑しな話となってしまいますが、それは因果なもので、朽ちたものを放置することは、必ずその土地や人の災いとなって返ってくることもあるのです。
せめて、そのような形となる前に、楽になれるように、解放してあげることができればと思います。
祀ることで御霊を鎮めていく時は、縛ることでもあるので、どうか感謝の想いだけは忘れないように、日々鎮め、慰めて欲しいと思う。
その日の朝、私のところへ来た蛇は、とても嬉しそうでした。
きっと今頃は、自由に、役割りを果たして、然るべきところへ還っているのではないかと感じます。
このように、動物や人の御霊を鎮めたり、浄霊する時は、祈祷に行く前にお迎えが来ることがある。
信じられないお話かもしれませんが、御霊は姿を変え、分かりやすい形で、生きたものの姿を借りて、お知らせに来るのです。
お迎えは、意外によく晴れた日の朝に起こることが多い。
そういう時の祈祷は、神懸かったかのように上手くいきます。
神仏の導きや、大いなる源という流れの中で、すべてに見護られているかのようにスムーズに運ぶのです。
見たこともないような色の蜻蛉が現れたり、黒や青の大きな蝶々が舞っていたり、淡い美しい陽の光と欠片。
そんな多くの吉兆と…
美しい自然の煌めきの中で、それは神聖な出来事として、起こっているのかもしれません。
もしかしたら、それを神事というのではないでしょうか。
導きと気づきに… 深謝
神谷 奈月